お知らせ

警察官ガイダンス

一昨日放課後、PCルームにて『警察官ガイダンス』が開かれました。木更津警察署より、鈴木純一郎警部補が来校し、講師を務めて頂きました。女子2名(1年生)、男子11名(2、3年生)、計13名の参加者がありました。県警組織の概要から、説明をして頂きました。

まずは、組織全体をつかさどる『総務部』。普通の会社の総務、経理と同じように、装備品や施設の管理と会計業務を受け持ちます。さらに、組織の基盤になる募集や、貸与品(警棒、けん銃、捜査車両)の管理を担当しています。

『生活安全部』は、「原子力から生ゴミまで」と言われるように、幅の広い分野を担当しています。リサイクルショップの経営に必要な古物商の許認可、狩猟用銃の許可など、とにかく間口が広い知識が求められ、サイバー犯罪を含むマルチなタスクをこなします。

『地域部』地域課は、我々市民が一番身近に感じる、交番やパトカーのお巡りさんがいるところです。警察学校を卒業して、多くのお巡りさんが交番をスタートに、いろいろな経験を積んでベテラン警察官へと成長していきます。

刑事さんが活躍する『刑事部』。ドラマでは、犯人を捕まえると一件落着ですが、そこから書類や証拠を整え検察送致、裁判資料の作成など、実際には逮捕後にたくさんの仕事があります。被害者の方に最後まで寄り添い、その喜ぶ姿を見ることに大きな遣り甲斐と達成感を感じるそうです。

『交通部』のお巡りさんは、交通違反の取り締まりや交通事故の処理をします。その他にも地元の人達からの要望を受けて、横断歩道を設置したり歩道を拡張したり、より安全な交通環境を整えます。

目立たないけれど大きな組織の『警備部』。地震や洪水などの大規模災害、コンビナート火災などの大規模事故等、地域社会が危機に見舞われたときに活躍します。首相を爆発物で攻撃した事件が記憶に新しいですが、テロ等の犯罪防止、要人警護といった緊迫の現場も主戦場です。千葉県は、国際空港を抱えることもあり、9個大隊の機動隊を擁します。鈴木様は、かつては、警護部隊小隊長を務め要人警護に当たったり、警備部機動隊に所属し、東日本大震災の際には被災現場へ特別派遣されたりといった、豊富な経験を持つ警察官です。

 

試験に無事合格し、正式に採用が決まれば、警察学校へと進みます。寮での生活を続けながら知識を学び技能を身に付ける、密度の濃い10ヶ月間となります。この間お給料が支払われます。晴れて警察官になるためには、柔道剣道いずれかで最低初段、陸上特殊無線2種免許、原付2種免許(普通の50㏄免許ではありません)の資格取得が必要です。

 

警察官になると悪い人たちばかりと関わることになる、と少し心配ですが、実際には善良な地元の人たちとのお付き合いの方が圧倒的に多いそうです。地域の人達との結びつきが強くなると、地元のために貢献したいという気持ちが強くなります。事件解決後に送られた感謝の言葉や、補導した少年から進学決定の報告をもらったことなど、ささやかだけれど心の温まるエピソードを伝えて頂きました。

 

「自分が育った地元で活躍できる」、「地域の事情に詳しく土地勘がある」など、「高校生が地元の警察官になる意義はけして小さくありません」と鈴木様が参加者に訴えます。「なぜ警察官になりたいのか」、「自分に何ができるのか」、しっかり動機を語れることが採用のカギとなるそうです。

3年生対象進路ガイダンス

本日1校時、3年生を対象にした進路ガイダンスが開かれました。就職を希望する生徒は青雲館に、進学を希望する生徒は至誠館に集まり、それぞれの指導部長から、ガイダンスを受けました。

青雲館でのガイダンスは、就職指導部長の寺岡先生が担当しました。『就職のしおり』の活動スケジュールを見ると、やらなければならないことが目白押しです。普段の学校生活と並行して進むので、かなり忙しい動きになります。言葉遣いや挨拶、欠勤は極力避ける等、社会人としての心構えを持つよう、寺岡先生は強く訴えます。就職活動は、長く厳しい道のりです。しおりの裏表紙には、「最後まで絶対にあきらめない!」のことばが記されています。これは生徒たちへの励ましのことばであると同時に、就職指導部が背負うことばでもあります。最後の一人が採用通知をもらうまで、「あきらめない、あきらめさせない」のが、就職指導部のモットーです。

 

至誠館では、進学指導部長の竹下先生がガイダンスを行いました。『一般選抜』、『学校推薦型選抜』、『総合型選抜』と多様な入試方法があるなかで、生徒は志望校を絞り込む作業と、自分で資料を確認して各自にふさわしい出願方法を選ぶ作業を一緒に進めなければなりません。あらかじめ、入試科目、出願資格、推薦基準等をしっかり把握すること大切です。例えば、期日に間に合わなければ、せっかくの努力が水の泡になることもあるのです。「安易な選択、独り善がりな判断をしない」ということが、最後に強調されました。保護者や担任と情報をやり取りし相談しながら進むことが、あとで後悔をしない最善の方法です。

 

清和大学入試広報センター長、沖埜先生から、清和大学と清和大学短期大学部の入試について紹介がありました。同じ君津学園内の併設校であるため、様々な優遇制度が本校生徒に用意されています。もちろん、優遇制度に飛びついてしまうのは安易な選択そのものです。沖埜先生からは、「一般論として、大学、短大で学ぶことで視野を広げ、より良い進路を見付けることができる」と進学のメリットが説明されました。入試ばかりでなく、入学後にどんなことが学べてどの様な進路へ薦めるのか、いつでも相談を受け答えてくれるそうです。規模が大きくないからこそ、教授陣と生徒との距離が近く、手厚い指導が受けられます。なんと、清和大学は警察官採用試験の合格率が全国第2位!身近過ぎるからこそ、盲点になっていることもあるようです。

自分の進路については、選択肢を狭めることなく、可能性を広げて欲しいです。

春季千葉県高校野球大会 準優勝 ~硬式野球部~

本日、県総合SC野球場で行われた決勝戦において、本校野球部は準優勝を果たし、神奈川県で開催される関東大会への出場が決まりました。

対戦校は、専修大学松戸高校でした。打線の強さに圧倒される試合内容になりましたが、5年ぶり8回目の関東大会出場となります。

表彰式では準優勝を賞し、記念の盾とメダルが授与されました。

 

関東大会は、5月20日(土)より開幕。本校の初戦は、21日(日)保土谷球場で予定されています。

春季千葉県高校野球大会 準決勝戦 ~硬式野球部~

本日、県総合スポーツセンター野球場で行われた準決勝、対中央学院高校戦において、本校野球部が勝利し、明日の決勝戦進出が決まりました。

5月1日(月)に行われた準々決勝、対東京学館高校戦では、1点を先行されたまま9回裏へ突入。連打で攻めたて逆転に成功し、勝利を収めて進んだ準決勝戦でした。

3回裏の攻撃で、1死一、二塁から羽根が左翼越えの適時二塁打を放ち、2点を先制しました。4回表、中央学院の攻撃で、1死二、三塁から一塁ゴロの間に1点を返されたものの、得点は2⊸1のまま動かず、本校野球部が勝利を勝ち取りました。

先発の石澤は6回まで投げ切り、7回より井上、8回より千葉が継投し、対戦校の打線を封じました。

語学研修説明会

夏休み中に予定されている、『海外語学研修会』の説明会が、本日講義室2で開かれました。

4年前までの語学研修は、オーストラリアでの『ホームステイ』という形式での実施でしたが、コロナ感染のリスクは未だにゼロとはならず、今年は、特進ハウスの修学旅行で実績のある、シンガポールへ赴くことになりました。

もともとは、定員20名、少なくとも12名の参加があれば実施するという前提がありましたが、4月15日(土)の説明会では61組、同席頂いた保護者の方を含めて109名の参加がありました。「なるべく多くの生徒に参加して欲しい」との学校長の意向もあり、最大定員35名に枠を広げて計画を立て直しました。この定員を上回った場合には、『抽選』を行う予定でしが、最終希望者は34名となり、全員が参加できる運びとなりました。

 

学校長からは、「多くの希望者が集まったことを、本当に嬉しく思います。海外で過ごし、その文化に触れ、日本語以外の言語を使って生活をすることは、とても良い経験になります。6日間の旅で、自分の中の何かが変わり未来の自分に影響を与えるような貴重な体験ができるかも知れません。インターネットで海外のあらゆる情報が手に入る時代ですが、実際に自分がその場所に行ってみないと分からないことはたくさんあります。全員が健康で万全な状態で旅行に行けるよう、しっかりと準備をして当日を迎えて下さい」と挨拶がありました。

引率を担当する2名の教員からも自己紹介を兼ねた挨拶がありました。竹内純先生からは、「学年もクラスも異なる34名が、6日間を一緒に過ごして旅をする機会はそうそうありません。この縁を大切にして研修を成功させて欲しいです」と。伊藤則子先生からは、「海外へ行くわけですから、時間厳守はもちろん、いくつかのルールはしっかり守った上で、大いに楽しみ、よい思い出を作りましょう」と、それぞれ挨拶がありました。両名とも英語科教師です。語学研修の引率の経験が豊富で、特進の修学旅行にも参加し、シンガポールを詳しく知る引率の適任者です。参加者からも自己紹介があり、立ち上がって挨拶をする旅の仲間に、温かい拍手が送られました。

近畿日本ツーリスト深澤康陽様から、パスポート取得の仕方について詳しく説明がありました。参加者は資料を見ながら、真剣に耳を傾けていました。

最後に、竹内先生から、今後開かれる事前学習会の日程などが伝えられ、散会となりました。